過去のニュース一覧

過去のニュース一覧

  • 12月1日

    呉紅先生、講師(准)に昇格

    呉先生は当教室で細菌のナノトランスポーテーションに関する研究を進められ、鈎奨学基金研究助成や留日中国人生命科学協会優秀賞を受賞されるなど、数々の業績を積まれ,講師(准)に昇格されました。
    呉先生にはさらなる研究の発展を期待すると共に、医学部教育での益々のご活躍を期待しております。

  • 11月20日

    日本細菌学会関西支部総会

    中野先生、院生の山本さん、大井君が細菌学会関西支部総会で発表しました。平成23年には国際微生物会議が日本で開催されます。

  • 9月3日

    第22回微生物シンポジウム(日本薬学会主催)

    大阪薬科大学微生物学教室の辻坊教授がオーガナイズされた第22回微生物シンポジウム(薬学会主催)で当教室の呉先生たちが提唱する「ナノ輸送システム」が取り上げられ、佐野先生がシンポジストとして「発症予防の概念」と「細菌のナノ輸送」の関係について紹介し、議論が交わされました。

  • 8月9日

    「先師先哲遺影」が日本細菌学会の教育用スライドに(8月9日 横地先生私信)

    先々代の当教室の教授であった山中太木先生が第47回日本細菌学会開催の記念として編纂された「先師先哲遺影」を本学の医学概論の資料として復刻しましたところ、多くの研究者から分与の依頼を頂いておりました。今般、愛知医科大学の横地教授のご起案で「先師先哲遺影」を日本細菌学会の教育用スライドにすることになったと連絡を頂きました。早速、日本細菌学会理事長 野田公俊(のだ まさとし、千葉大学大学院教授)先生に「先師先哲遺影(復刻版)」を送付いたしました。

  • 8月6日

    青木先生、FETP(introduction)修了

    Field Epidemiologist Training Program(導入コース)を修了しました。疫学的視点に磨きをかけて益々ご活躍いただきたいと思います。

  • 8月1日

    青木先生、助教に任用

    青木先生が助教に任用されました。行政での経験を生かし、医学部での教育研究に益々ご活躍をいただきたいと思います。

  • 7月5日

    Basic Medical Learning(7月5日〜16日)

    学生3名がBML配属で配属されました。パルスフィールドゲル電気泳動や電子顕微鏡観察の手伝いをして、有意義な時間を過ごしました。

  • 7月3日

    医工薬連環科学シンポジウム

    中野准教授が第3回三大学医工薬連環科学シンポジウム(於 大阪薬科大学)のシンポジストとして、医工薬連環科学の実例を披露しました。

  • 4月1日

    研究生の受け入れ

    この度、木村さんが研究生として当教室の研究に加わられます。本務に加えての研究活動、大変だとは思いますが、益々のご活躍をお祈りいたします。

  • 4月1日

    河野武弘先生、准教授に昇格

    主たる業務を当教室の教員から病院輸血室とし、当教室の教育研究業務を兼務していた河野先生が、病院長の推挙により、准教授に昇格しました。引き続き、当教室の教育研究業務を兼務することになっています。益々のご活躍を期待しております。

  • 3月31日

    研究生の辞退

    この度、研究生の瀬見井さんが郷里に戻られることになり、研究生を辞退されました。新たな分野を得られたとのことで、益々のご活躍をお祈りいたします。

  • 3月31日

    鳥インフルエンザ・サーベイランスシステム強化プロジェクト・チーフアドバイザー、来室

    当教室から国のセンターに移籍した平山先生が一時帰国され、当教室を表敬訪問くださいました。海外の状況を具に伺い、微生物学・感染症疫学の重要性を改めて認識させていただきました。すぐに任地に戻られるとのこと、ますますのご活躍をお祈りいたします。

  • 3月28日

    院生の学会発表

    平成22年3月27日~29日に横浜で開催された日本細菌学会で、院生の山本さんが発表しました。

  • 3月15日

    田中朋子さんが学生研究員に

    田中さんが春休みを利用して当教室で細菌の培養などを手伝ってくれました。引き続き学生研究員として籍を置きたいとのこと、歓迎します。

  • 3月6日

    高槻 寒天雑話

    「高槻 寒天雑話」と題して、学校法人大阪医科大学歴史資料館の公開講座が行われました。当教室に残る資料を参考に、東南アジアの食材であった「aga-agar(アガルアガル)」が中国で「瓊脂(ジュシー)(瓊:赤い美玉、脂:樹液)」となった可能性があるとの指摘にはじまり、その「瓊脂(ジュシー)」が仏教とともに「古々呂布止(こごるもは)(凝藻葉)」として伝来し、「心太(ところてん)」と称されるようになったといわれていることに続いて以下の内容が地元高槻と関連付けて紹介された。山城国伏水(京都)の美濃屋太郎左衛門が心太を凍結乾燥することによって「心太の干物」を発明し、黄檗山万福寺の隠元禅師が「心太の干物」に「寒天」と命名した。隠元禅師は中国(明)から長崎に渡来し、その後万福寺創建まで摂津国嶋上郡富田村(現高槻市)の普門寺に滞在した人である。それから百数十年ほどして、摂津国嶋上郡原村(現高槻市)の宮田半平が美濃屋利左衛門に寒天製造法を習い、自ら凍結乾燥法を改良し、寒天製造が全国に広まる切欠を作った。高槻でのこの寒天製造法改良によって食用としての寒天が世界に広がっていった。寒天の医学応用は、Robert Kochの研究室で、研究補助をしていたAngelina Hesse夫人が夫Walther Hesse医師に寒天を紹介し、寒天を細菌培養平板培地に用いたのが始まりである(ASM News, 58: 425-428, 1992)。この応用はPetri氏の寒天培養皿(ペトリ皿)の発明に助けられ、細菌学の発展、現在の生命科学の発展の基盤を作った。Petri氏と同様の志をもって寒天培養器(吉津式大試験管)の発明に当った吉津(よしづ)度(わたる)(大阪細菌研究所・梅田病院を設立)は大阪府三島郡古曾部(現高槻市)の地に医育機関を創設し、これが現在の大阪医科大学の前身となった。